□自分中心の物の見方から脱却する □「生産関係」から「人間らしい関係」へ □僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている

自分中心の物の見方から脱却する

本書は多感な中学生の潤一君 (愛称「コペル君」)が、「叔父さん」の言葉に導かれ、世の中の成り立ちや人の生き方について思いを巡らせながら、挫折を乗り越え、成長していく物語です。

物語はユニークな愛称「コペル君」の由来から始まります。
10月のある日、潤一君は叔父さんと銀座のデパートの屋上から通りを見下ろしていました。

行き交う人々や車を眺めているうちに、潤一君の胸に何とも言い難い思いが芽生えます。
ここから見ていると雨粒みたいに人が小さく見える……そう感じた潤一君は叔父さんに言います。
「人間て、ほんとに、水の分子みたいなものだねえ」。そして、「たしかに、分子なのかも」と感じます。
目をこらしても見えないような遠くにいる人たちだって、世の中という大きな流れをつくっている一部。もちろん近くにいる人たちも、叔父さんも、僕自身も。

叔父さんはその言葉を聞いて静かな感動を覚えます。子どものころは、誰しも自分が世界の中心にいるのだと考えがちです。
「大人になる」とは、「自分中心の世界観から抜け出て、大勢の人たちとの関わりの中で自らを客観視できるようになる」ことに他ならないでしょう。
叔父さんは潤一君の成長を実感し、心を動かされたのです。

叔父さんは、この日から潤一君を「コペル君」と呼ぶことにしました。
彼の発見はコペルニクス(筆者注:地球中心の天動説を覆す地動説を唱えた15〜16世紀の天文学者)と同じくらいかもしれないから、と。

このエピソードは、私たちの胸にも刺さります。
全ての大人が自分中心の世界観から抜け出られているかと言えば、そうではないからです。

「自らの利益のみを追求し、顧客の利益や地域社会への配慮を忘れてしまう」「自身の思い込みを絶対視し、客観的な状況やデータを軽視してお金を注ぎ込んでしまう」。
大人たちもしばしば、自己中心的な行為や判断をしてしまいます。

自分もまた世の中という大きな流れをつくっている一部なんだ──コペル君の発見を忘れないようにしたいものです。

「生産関係」から「人間らしい関係」へ

コペル君は世の中の仕組みにも思いを巡らせます。
ある日、コペル君は粉ミルクの缶が置いてあるのを見つけます。コペル君が赤ん坊の頃飲んでいたものを記念に母親が残していたものでした。

コペル君は、オーストラリアの牛から乳がしぼられ、はるか遠くに住む自分の口に粉ミルクが入るまでの道のりを考えました。生乳を精製し、小分けし、日本に運び、小売店に卸す間には、多くの人たちが関わっています。
電灯も、時計も、机も、畳も、全ての物が多くの人たちの長いリレーの末に、手元にたどり着いたのです。

コペル君はこの発見を「人間分子の関係、網目の法則」と呼びました。
様々な物を通じて、世界中の人間分子が網の目のようにつながっている。遠い国の住民同士も、もはや赤の他人ではない──そんなことを言い表したかったからでした。

叔父さんは言います。
「実はコペル君、君が気がついた『人間分子の関係』というのは、学者たちが『生産関係』と呼んでいるものなんだよ。こういうと、せっかくの発見がとっくに人に知られていたというんでは、つまんないなあと思うかもしれないね。しかし、コペル君、決してがっかりしてはいけない。君が、誰にも教わらないで、あれだけのことを発見したのは、立派なことなんだよ」。

叔父さんはさらにこう言います。
「人間は、人間同士、地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同士の争いが、いまだに絶えないんだ。裁判所では、お金のために訴訟の起こされない日は一日もないし、国と国との間でも、利害が衝突すれば、戦争しても争うことになる」。

利害で結ばれた「人間分子の関係」を、お互い大切にし合い、慈しみ合う「人間らしい関係」へと高めていくこと。
その出発点は、「様々な物を通じて、世界中の人間分子が網の目のようにつながっている」ことが、実はかけがえのない関係なのだと実感することかもしれません。

僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている

物語の終盤、コペル君は苦い挫折を味わいます。
親友の北見君(愛称「ガッチン」)は曲がったことが嫌いな少年ですが、その性格が災いして上級生たちから目をつけられてしまいます。
コペル君はガッチンも含めた仲良しの3人と、「北見君が上級生に殴られそうになったら、一緒に殴られよう」と約束します。

しかし、いざガッチンが上級生に取り囲まれてしまった時、コペル君は恐ろしくてその場から動けません。
3人が殴られるのを見ているしかなかったコペル君は、罪の気持ちと自責の念にさいなまれ、学校に行けなくなってしまいます。

叔父さんはコペル君に「本気で申し訳ないと思っているのなら、手紙で北見君たちにその気持ちを伝えなさい」と言います。
コペル君は嫌がりました。手紙を書いて、それでも許されなかったらと思うと怖かったからです。

「なぜ、自分のしたことに対し、責任を負おうとしないのだ」。叔父さんはコペル君を一喝します。
どんなに辛いことも、自分の過ちを認め、苦しみを受け止める覚悟が必要だからです。

叔父さんはコペル君に宛てたノートにこう書きました。
「僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。だから誤りを犯すこともある。しかし──僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。だから、誤りから立ち直ることもできるのだ」。

コペル君は謝罪の手紙を書きます。数日後、ガッチンたちはコペル君の家を訪ねてきました。
この経験を通じ、4人の友情はより深く強いものとなったのです。

渋谷和宏のコレだけ覚えて

運用方針は自分で決めて、最後まで責任を持つ

「自分中心の世界観から抜け出て、大勢の人たちとの関わりの中で自らを客観視する」「利害で結ばれた『人間分子の関係』を、お互い大切にし合い、慈しみ合う『人間らしい関係』へと高めていく」「僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている」──本書の主人公であるコペル君はそんな言葉を一つひとつ胸に刻ませながら、大人への階段を上っていきます。

これらの言葉は、投資・運用にもあてはまるかもしれません。

例えば、直接的に関係のない事柄に思えるものもつながっているからこそ、自分の投資対象以外にも様々なデータに関心を持つ。自身の思い込みを絶対視せず、客観的な状況やデータを参考にする。最後は自らの責任で、自らの経済状態やライフスタイル、価値観を踏まえて投資・運用する──長い目で見た時、これに勝る基本姿勢はないでしょう。

  • 2020年7月現在の情報です。今後、変更されることもありますのでご留意ください。
渋谷 和宏

渋谷 和宏

しぶやかずひろ/作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。

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