藤島大の楕円球にみる夢
(2022/05/02)

三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内ラグビー、日本代表、世界のラグビーなどの幅広い情報を詳しく伝えています。5月2日放送回では、藤島大さん自らが、過去に解説した試合での忘れがたい場面について語りました。

スポーツライターの藤島大です。

話したいことはたくさんあるんですけれども、活動を休止する、おしまいになると話してもいいと思いますけれども、宗像サニックスブルースについて触れたいと思います。

今、リーグワンのディビジョン3ですが、長らくトップリーグの、一度も覇者ではなかったけれどもたったの一度も弱虫ではなかったクラブ、そしてほかに類のない独自性のあるクラブでした。

今日は私がJスポーツで解説をした試合のほんとうに忘れがたい場面についてお話します。2017年1月14日土曜日、レベルファイブスタジアム、現在はベスト電器スタジアムですね、宗像サニックスがNECグリーンロケッツに26対24で勝つ試合です。観衆1974、キックオフが午前11時半。公式記録を手元に持ってきたんですけど、後半の42分、NEC10、田村優、PG、×がついているんですね。結果、26対24で宗像サニックスが勝利するわけですけれども、このPGがなんともいえない人間の物語でしたね。

その前段があります。

さかのぼること約1カ月。2016年の暮れ、12月11日、岐阜メモリアルセンター長良川球技メドウ、長良川球技場ですね。そこで宗像サニックス、トヨタ自動車ヴェルブリッツを15対14で破ります。

宗像サニックスのような、ハートは大きいけれども規模としてはスモールなクラブが、あの巨人のようなトヨタ自動車を倒す、1点差で勝つ。さりげなく歴史の一幕のように言いますけれど、今考えると、これは大変なことですね。そこに相当な努力と工夫があった、あるいは意地があったと思います。

当時の監督の藤井雄一郎さんから、この勝利を宗像サニックスの社長だった宗政伸一さんがたいそう喜んだ、とお聞きしました。宗政さんはあるきっかけでラグビーが非常に好きになった。会社を軌道に乗せて、いわゆる創業者利益のようなものも使って施設を作って、皆さんおなじみのサニックスワールドユースも始めた。サニックスワールドユースという大会がどれだけ日本のラグビーを豊かにしたか。世界の各国からいわゆる高校のチームが集まってきて戦うわけですけれども、日本のいわゆる強豪校、花園に出るのは当たり前、ベスト4は約束されているというクラスの高校にとってもう一つの大きな目標になったのですね。花園で勝つだけじゃなく世界の、ニュージーランド、南アフリカ、イングランドのチームを倒すんだという目標ができた。これがのちのちに一人一人の選手の心理にも影響するし、2019年ワールドカップでジャパンが躍進する一つの土壌というか、根っこのところにサニックスワールドユースはあると思いますね。その意味で宗政さんという人は非常に、力を尽くしたというと変ですかね、ラグビーを愛した人ですね。

トヨタ自動車戦の勝利があって、年が明けて1月14日、NECとの試合がありました。その間に何が起こったか。1月7日に宗政伸一社長が急逝するんですね。もちろん宗像サニックスの選手、関係者も大ショックで、ラグビー界にとっても損失だったわけです。当然NECの選手も事情を分かっています。

試合はもつれにもつれて、2点差で最後のプレーを迎えます。田村優がランするんですね。ハイタックルを浴びて、ペナルティになる。右中間、22mラインのちょっと後方くらいでした。それまでもっと難しいところも決めていた田村優のPGは外れました。わざと外したとは言いません。わざと外したとは絶対言ってはならない。しかし、ほんとうは決めたくないなってちょっと思った可能性はありますね。

というのは、この試合、勝ち負けがプレーオフや入れ替え戦に直接懸かっているわけではないんですね。チャンスを作ったのも田村優なわけですから手を抜いて試合をしているわけでもない。ここははっきり言っておきます。でも、いざペナルティが来た。決めたら劇的な、逆転の勝利だ。しかし相手は創業者でありクラブを支えてきた愛する人物が亡くなったばかりだ。理屈を超えたところで決めたくないなあと思ったんじゃないか。本能のレベルとかそういうレベルでしょうね。聞いてはならない気がして、今まで聞いたことはありません。田村優が引退したあと、聞いてみたいと思いますけれども。

外れたあと、宗像サニックスの選手はまさに優勝したように抱き合って、キャプテンの田村衛土が涙する映像がモニターにアップになりました。この表情は、私はスポーツライターだけど書くことはできない、形容できないなと思った記憶があります。

宗像サニックスは2009年度のトップリーグ7位、これが過去最高の成績です。お話した2016年度は16チーム中11位、7勝8敗。この7勝8敗が、つまり覇者ではなかったけれど弱虫ではなかった、負け犬ではまったくなかった、ということですね。

ほんとうにいいラグビーをしていました。今のリーグワンのトップクラブは、ナショナルチームを含め世界の強豪が行う、セットプレーから仕掛けるようなサインプレイでトライをとる。ラインアウトから展開したところから急にスイッチして人が走りこんで逆側に走り込んできて、そこにさらにショートサイドからエースがボールをもらって一気にトライする、そういう動きをします。

宗像サニックスは、連続攻撃のラックのあとにそういう仕掛けをしてトライをするのですね。ボールの動かし方が独特で、しかもそれが決めごとではなくて自由性が発揮されていく。かなり先駆的なスタイルのラグビーをしていたなとあらためて思いました。

ハンドリングとフィットネスがありました。ものすごい練習をする。ふつう大学から入ると体が大きくなるんですけれども、新人が最初の春で6キロとか8キロやせると当時の選手に聞いたことがあります。そのことを思い出します。

企業としての経営の問題との関係で休止せざるをえないということですけれども、よくここまでクラブを運営してくれたし、しかもどれだけの人材が出たか。日本代表ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフもそうですよね。グラハム・バショップも在籍していました。

カーン・ヘスケスは2015年ワールドカップのヒーローですね。ヘスケスはニュージーランドではいわゆるスーパーラグビーの下の地区代表の選手でした。本人も言っていますが、身長がショートだと、こういう評価を受けていた。ところがサニックスの人たちが目をつけたんですね。日本に来たらぴたりとはまって、あのゲインする力で劇的なトライを何度も奪った。ジャパンでの一つのピークがスプリングス戦の最後のトライですね。

あのときスプリングボクスのピーターセンでしたか、左隅にヘスケスが躍り込むときボールに手を下から差し込んで、抱えてトライを阻止しようとした。サポートしていた稲垣啓太が、見た時ぞっとした、世界のトップはこうやって最後までトライを防ごうとするのかと言いました。ヘスケスだから持ちこたえてボールをダウンできたんですね。そういうことも思い出します。

5月2日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣

ラジオ番組について:
ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。

5月2日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-220502.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0090286