藤島大の楕円球にみる夢
(2024/04/01)

ゲスト/田村一博氏(ラグビーマガジン前編集長)

三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。
4月1日放送のゲストは、「ラグビーマガジン」の前編集長、田村一博さんです。

藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストは「ラグビーマガジン」の田村一博編集長とずっと呼んできたんですけども、今回からは田村一博前編集長です。よろしくお願いします。

田村よろしくお願いします。

藤島もうおなじみではありますが略歴を私の方から。1964年10月21日熊本市生まれ。鹿児島中央高校、それから早稲田大学、1989年にベースボールマガジン社に入社。このほど退社の運びとなりました。「ラグビーマガジン」はもちろん、「週刊ベースボール」の担当編集者、記者も一時務めて1997年から今年の2月号まで、「ラグビーマガジン」の編集長。これ長いですよね。

田村26年ですね。

藤島なかなか異例ですよね、これだけ1人の人が。高校時代は野球部、早稲田大では名門GWラグビークラブに所属をしました。ポジションはフッカーでした。僕らは今年で定年と知っていたので驚きはなかったんですけど、今年に入ってから自由の身に?

田村そうです。もともと2024年10月で定年退職の予定だったんですけど、半年ちょっと早く自分の意思で退職しました。ということで、完全自由は4月からですけど今年に入ってから割と自由にやっていました。

藤島あれだけ長く1つの雑誌の編集長としてずっと毎月。離れてみてどんな心境ですか?

田村今も(ラグビー情報サイトの)「ラグビーリパブリック」もやっているので、毎日取材して毎日何か書くというのは変わらないことは変わらないんですけど、やっぱり校了作業がないというのは精神的にいいですね。わざと校了日に合わせてちょっと外で飲んでみたりして。そういう時間を楽しんでいます。

藤島校了作業は毎月15日ぐらいからですか?

田村そうですね。

藤島例えば首都圏の発売は23日が基本ですか?

田村23日が配本、発売は25日です。

藤島だいたい15日から20日ぐらいが修羅場で、原稿をまとめてレイアウトを済ませて印刷所に送っていく。

田村はい。僕はそれを粘っていたんですよ。週刊誌をやったことがあったので。週刊誌ってあっという間にできるじゃないですか。その感覚がなかなか抜けなくて、できるだけ後ろに引っ張っていたら印刷会社からどんどん怒られるようになって恐ろしいメールが来たりして、色々な思いを持ちながら働いていました。

藤島でもそこで編集長が戦わないとずるずると相手のペースに。

田村向こうが出してくる予定は向こうに都合の良いスケジュールだと僕は思っているので。でも働き方改革とかそういうことが叫ばれるようになってきたじゃないですか。だから昔ながらのやり方は通用しなくなってきています。デザイナーさんに買ってもらった簡易ベッドがあるんですよ。セブンズに合わせようと思って、7分寝て、ぱっと起きて、それを繰り返して。

藤島でも熟睡できる?

田村しますよ。横になると10秒ぐらいで寝ますから。最初7分寝ると3時間ぐらいもつんですよ。でもどんどん短くなって、最後は7分寝たら5分ぐらいしかもたない。何か古い携帯の電池みたいで。

藤島7分で目覚ましをかける?

田村かけます。

藤島起きるものですか?

田村起きますよ。最後の残り2秒ぐらいのところで起きちゃうんですよ、訓練で。

藤島何十人もいて作っているって、みんな思うんですよね。でも行ってみると会社自体そんなに大きなビルではないし、数人なんですよね。

田村一番多いときで5人いたかな。最低3人のときがあって、そうなると編集後記のスペースがあんなにいらないんですよ。

藤島つまり実は少人数で作っている。この話はよくするんですけど、1つの競技だけを月刊で出していく専門誌があることは幸せなんですよね。「僕らのスポーツは何々マガジンがないんだ、ラグビーにはラグビーマガジンがあるからいいよな」と聞いたことがあります。ラグビーをやっている人の誇りみたいになるんですね。

田村そうですね。ベースボールマガジン社って色々なスポーツを出しているんですけど、わりと競技者寄りなんですよ。でもラグビーマガジンって競技者も読むしファンも読む、ファンも小さい子どもから年配のファンまで読む。すごく広く作るのが伝統的なものなのでそれをずっと念頭に入れて動いてましたね。

藤島1972年創刊。私はまだ小学生だと思うんだけど、父や叔父がラグビーやっていたのですごい楽しみにしていたのを覚えているんですね。創刊号は家にありましたけれどね、表紙が早稲田と三菱自工京都の日本選手権決勝。早稲田が勝った試合です。早稲田のスクラムハーフ、後のジャパンの監督、住友銀行で社業でも大活躍した宿沢広朗さんがかっこよくパスしているけれど顔がわざとピンボケみたいになっている。なぜかは大人になって分かったんですけど、当時ラグビーはアマチュアリズムを非常に厳守していて、初めての雑誌だから作る方もスターを作っちゃいけないと。だから、わざと顔が分からない写真を選んだ。そんな時代だったんですよね?

田村そうですね。しばらくは選手がカメラの方を向いている写真は駄目だって言われて、練習しているときにたまたまこっちをちらっと見ているのも駄目だと。

藤島人間、レンズが向いたら見ますよ。でもやっぱり専門誌があると幸せで、偶然見た光景なんですけど、私が暮らしているところの近くに年配の夫婦がやっている昔ながらのいわゆる大衆中華料理屋があって大好きなんです。昼からお酒飲んでいる常連がよくいてその人がちょっと苦手で何となくいつもそっけなくしていました。お店のお母さんが片付けをしていて、「ダンボールに息子の残したラグビーマガジンがあるんだけど捨てちまうかな」って言ったらその酒飲んでいる人が「駄目だよ。青春の思い出だよ」って言って、それからその人好きになって。後で聞いたら、息子が都立富士高校っていうところのラグビー部で。

田村花園ガイドの付録があるんですけど、1回その写真を間違えたことがあったんですよ。花園の期間中に宿舎に訪ねて行って先生に「すみませんでした」と謝ったら先生が穏やかに色々話してくださったんです。「こういうのはね、将来亡くなったときに棺桶に入れるものなんだからこれから頼むよ」って言われて、もう絶対間違えないぞって思いました。

藤島有名な選手だったら、それこそ全国放送のテレビに映る、「J SPORTS」もしょっちゅう映る、出演するかもしれない。おしゃれな雑誌に取り上げられることもある。でも「ラグビーマガジン」に載りたいんですよね。これが選手の心理。

田村記録のページであったり名簿のページであったり、花園出場校全選手の進路とか、今の時代、そこまでやるのは珍しいですけどね。でもそこしか出られない部員もいるので、もうなくしたくないな、と。

藤島編集長生活でどれぐらい出したんですか?

田村12カ月×26年なので、300ほどでしょう。あと「ラグビークリニック」というのを出していたし、別冊とかワールドカップのために出していたりするので、どれぐらいですかね。350とかですね。

藤島なるほど。愛着のある1冊ってありますか?

田村編集長になって1冊目は新監督だった平尾誠二さんのドアップの写真が表紙でした。編集長になり立てで燃えているのでこれまでなかったものをやろうと思ったんですね。だから海外でラグビーをやろうという特集を組んだり、ヘッドキャップをかぶっている人だけの特集をやったり、最初そういうことを面白くてやっていました。
2015年のワールドカップで南アフリカに勝ったときのあの表紙、カーン・ヘスケス。ものすごく売れたのもありますけど、歴史的という意味でよく覚えていますね。

藤島専門誌の編集長って難しいだろうなって想像するのが、伝統校は人気がある。でも今はこの大学が強い。圧倒的に強い。そのバランスもあるじゃないですか。

田村昔はやっぱり早慶明、社会人で言うと神戸製鋼。でも最近はやっぱりそこに固執するよりは、ちょっと驚かせる方がいい、評判がいいかなっていうのがありますね。
 女子も表紙にしたことがあるし、この間の(南アフリカの)ファフ・デクラークの海パンの表紙とか、東洋大が一昨年の開幕戦で東海大に勝ったときは東洋大を表紙にしました。
 時代も変わってきて、たぶん南アフリカって以前はそんなに日本で人気がなかったと思うんですけど、2019年に優勝してからすごい人気があるんですよね。昔は海外だとウェールズの選手が表紙だった。それが過ぎて国内の大学が一番となった時代が長くて、2019年以降は南アフリカが人気あるので、優勝すれば南アフリカでいいという時代になってきましたね。日本代表も昔はそんなに人気なかったんですけど、今は人気も高くて話題的にもみんな欲している。時代がすごく変わってきたと思います。

藤島売れることも考えなきゃいけないし、正しく報じていくのもあるじゃないですか。

田村雑誌を作っている人全員そうだと思うんですけど、これが売れるって確信はないんですよね。作りたい本を作るのが大事かなと思い始めてきたところで、編集長人生が終わりました。

藤島長い編集長生活を終えて、これからのプランはあるんですか?

田村そうですね。やっぱり発信していくのはもう体の中に染み込んでいるし、それは続けたいなと思っているのでまずはラグビーの現場に取材に行くのは変わらず、色々なところに書かせてもらえるんであれば書きたいなと思っています。ここまで20何年間自分で動かしてきたので、そっちの方もやりたいなと思っています。新しいメディアというか。

藤島ウェブでメディアを立ち上げていく。

田村そうですね。それがメインで、時々何か出版できたらいいなと思っています。

藤島あと、エディージョーンズさん、今どんな感じですか、新体制ジャパンは?

田村まだ固まりきってはいないんですけど、エディーさんは精力的に動いていますね。3月の終盤の日曜日に神戸製鋼のグラウンドでU20の日本代表候補対神戸製鋼のBチームという試合があったんですよ。朝9時半ぐらいのキックオフだったかな。エディーさんが来たんですよ。一緒に動いている人に聞いたら、東京を始発から2番目の新幹線で来て、前半だけ見て東京に戻って、リーグワンを見るんだと。すごいですよね。エディーさんももう60いくつでそんな情熱があって、就任前は色々なことを言われましたけれど日本ラグビーに合ってますよね。日本の人も彼を好きだし、その期待に応えようとしているし、良い結果が出ればいいですね。

藤島分かりました。本日のゲスト、こういう紹介も最後になるんでしょうか、「ラグビーマガジン」の前編集長、田村一博さんでした。今日はありがとうございます。

田村ありがとうございます。

4月1日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣

ラジオ番組について:
ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。

4月1日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-240401.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0090286