藤島大の楕円球にみる夢
(2025/08/04)
ゲスト/三井大祐氏(豊田自動織機シャトルズ愛知アシスタントコーチ)

三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。8月4日放送のゲストは、豊田自動織機シャトルズ愛知アシスタントコーチの三井大祐さんです。
藤島スポーツライターの藤島大です。本日のゲスト、プロコーチの三井大祐さんです。よろしくお願いします。
三井よろしくお願いします。
藤島三井さんのプロフィールを私の方から紹介します。1984年10月生まれ。ということはいくつですか。
三井今年41になります。
藤島大阪府出身。中学でラグビーを始めて、啓光学園、今は常翔啓光学園ですね、啓光学園の黄金時代の中心選手の1人です。スクラムハーフとして2年、3年と花園を制覇しています。つまり日本一になったことがある。その後、早稲田大学に進んで、学年でいうと1、2、3年が清宮監督。
三井はい。そうです。
藤島そのうち2回優勝ですか。
三井そうですね。2年、3年で。
藤島4年のときに中竹竜二新監督が来て、決勝で有利と言われながら負ける。最終学年と思われたところで敗れる。しかし、留年をする。これ、あえてしたんですか?
三井はい。単位自体は大丈夫だったんですけど、中竹さんからもう1年やってみないかとお話をいただいて、両親に相談したところ、そんなこと言ってもらえるなんて幸せじゃないかと。
藤島いい親ですね。5年目、レギュラーとして、優勝を果たすんですね。
2008年、東芝、今の東芝ブレイブルーパス東京へ入社します。2011年に目を負傷したと経歴にあるんですけど。
三井NECとの試合中、タックルしたときに相手の肘が目に当たって。最初、視界がぼやけて見えなかったんです。よくあることなので時間が経てば戻るかなと思って病院へ行ったら上斜筋麻痺という目の筋肉が動かなくなる状態と診断されました。1年リハビリしたんですけど目の焦点が合わず、目の筋肉を一度切り離して、もう一度縫い直す手術をしても元に戻らず。
藤島その負傷がもととなって、2012年シーズンで現役を退くと。
三井はい。
藤島その後、東芝に残って4年間コーチをして、2017年、ニュージーランド・ダニーデンに渡ります。そこでコーチ修行する。その後、2018年から母校の早稲田のコーチになって、2019年、慶應義塾大学のヘッドコーチになる。ラグビー界で早稲田と慶應のコーチを両方した人って珍しいんじゃないか、ほぼいないんじゃないかと思うんですけどね。昨シーズンで慶應大学のコーチは終わって、この7月に豊田自動織機シャトルズ愛知のコーチに。
最初に聞きたいのは、慶應のコーチが終わった後、今年の3月からリーグワンの決勝まで古巣のブレイブルーパスに、いわばコーチ修行のような形で身を寄せた。チャンピオンチームの中に入って何を感じました?
三井みんながチームのことを好きっていうところが秘訣なのかなと感じましたし、コーチ同士の関係性がすごくいい。馴れ合いじゃなく自分の仕事の役割を責任持って遂行する、その中で支え合いながらやる。コーチと選手もいい関係性が築けていて、本当にみんなチームが好きで、「このチームのために」というのを感じられました。ラグビーのところに関しては当たり前のことを意識高いレベルで遂行する。チームのことを好きな人が当たり前のことを一生懸命、必死にやる。魔法とかじゃなく、ラグビーってそういうところがいいんだな、そういうチームが勝つんだなって思いました。

藤島言葉にすると当たり前のようだけどこれ、できないんですよね。部員も沢山いるし全員が試合に出られるわけではないし、色々な感情がうごめく赤裸々な人間の集団で、でも、みんなが自分のクラブが好きで、言いたいことも言い合うけれども一つの方向に。
三井試合に出られない選手、出ている選手がいますけど、立場が違えど本当に自分の役割に対してみんな一生懸命やっている。それをできるチームが勝つんだな、と思います。
藤島ここからある意味本題だと思うんですけど、早稲田のコーチをして慶應に招かれた。監督の栗原徹さんから口説かれたんですか?
三井口説かれました。
藤島古典的に言うと慶應はライバルじゃないですか。行ってみて、どうでしたか?
三井ひとことで言うと難しかったです。求められているのは優勝すること。でも本当にみんなが同じ絵を見てそこを目指しているかというと、外から見ているのと中に入って感じたのとではちょっとギャップがあって最初は戸惑いましたね。
藤島早稲田はたぶんカルチャーとして、「勝つ」という文化が出来上がっている?
三井早稲田は何年浪人してでも早稲田でラグビーがしたい、みたいな人が多くて、僕が見てきた先輩たちは試合に出られない人ほど「早稲田ラグビーとは」を後輩たちに背中で見せて、そういう試合に出てない先輩がかっこいい。試合に出ている4年生は意地でも頑張りますし、試合に出ている下の学年はその先輩たちのために、というカルチャーがあって、自分が現役でいたときも、2018年に帰ったときも変わらずありました。慶應は、慶應で絶対ラグビーするために、慶應じゃないと駄目なんだっていう選手は少数ですね。
藤島違うバックグラウンドから乗り込んでいって、試合に出られない4年にもっと頑張れよって言ってもなかなかうまくいかないでしょう。
三井まずは学生と信頼関係を築かないといけないですし、心の扉を開いてあげないと何言っても入っていかない。大学生というカテゴリーに携わらせてもらったことですごく勉強になりました。
藤島結局コーチって、スキルがあっても理論があっても、最後、人を扱えないと。
三井例えば最先端のスキルとか戦術とか、情報社会なので色々なコーチが同じことを言っていると思うんですけど、誰が言うかはすごい大事で。
藤島私なんかも慶應のラグビー部の友達は結構いるんですけど、彼らの後輩を愛する気持ち、高校を含めて慶應という学園を愛する気持ちも強くて純粋で、そういうのをよく感じるんですけど。
三井附属高校の選手が大半を占めているので、そこの仲間意識、絆があって、ラグビーを続ける動機も、優勝したいからというよりも高校でやった仲間が大学で続けるからという選手がすごく多かったです。
藤島慶應のいいところもちろんあるでしょう?
三井頭はいいですよ。言われたことを理解する力とか要約する力みたいなところは高いです。

藤島僕なんかは昔の慶應、タックルとセービングとスクラムとハイパントとそれを潰すのだけは日本で屈指、あとは結構普通という時代を知っていますが、そういう泥臭さってまだ残っている?
三井そこは受け継がれているなって感じます。去年のシーズン終盤にミーティングしたんですよ。「みんなは慶應らしさってどう思っているの」って聞いたときに、ひたむきに泥臭くとか、自分たちより強い相手に対して挑んで戦っていく姿に人の心を引きつける力があるみたいなところを選手が言っていて。プレーで言うと、前に出るタックルというのが選手から出ていました。
藤島あらためて、早稲田と慶應の両方やったのはどういう経験ですか。
三井こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど、僕は慶應にコーチをしたいと思って行ったわけじゃなくて、栗原徹から学びたいと思って、その中で栗さんから沢山のことを学びました。慶應は本当に推薦で選手がとれないので、ちょっと雑ですけど料理に例えると、限られた素材をいかにどう調理するか。寄せ集めた食材をどう融合させて誰も発想したことのない料理を作るかみたいなところをすごく勉強させてもらいました。
藤島三井コーチがいかに誕生したかを考えるとやっぱり啓光学園、今は常翔啓光学園ですけれども、あのとき、記虎敏和さんという監督がいて、ノータッチをどんどん蹴ってチェイスを極めて、そこで崩れた状態を作ってターンオーバーして攻めていく。
三井啓光のラグビーの原点というか土台にはディフェンスがあって、まずディフェンスができない選手は試合に出られない、そういうカルチャーが入ったときから出来上がっていました。今振り返ると考えられないのが、まず走り込みの合宿があって、終わったら菅平に移動して対外試合の合宿があって、次はキックチェイスだけの合宿。ノータッチを蹴ってどうチェイスして、どう奪い返して、というアンストラクチャーのアタックと、あとはディフェンスでターンオーバーしてのアンストラクチャーのアタックをとにかく練習する。それがスタイルでしたね。
藤島特定のことだけで合宿する、今のプロのクラブがやりそうですけど、2000年代の前半にそういう発想、モダンというか。慣習的じゃないですね。
三井そのときはわけもわからずやっていましたけど、コーチという立場になって、最先端なことをしていたんだなって驚いています。
藤島早稲田にはどういう形で?
三井当時の早稲田のラグビーを見ていて、弱いものが強いものに勝つじゃないですけど、そういうカルチャーとか早稲田の歴史を見たときに、ここでやりたい、と受験しました。
藤島無事合格して、清宮監督と出会う。清宮克幸監督、どうでした?
三井清宮さんは勝つために最善の策を考える天才というか、誰も思いつかないような発想がぽんぽん出てくる。その通りにやったら勝てるから、悪く言うと自分で考えることをしなくなってしまう。今でも覚えているのが、4年生のときに中竹さんが来られて、僕たちが「中竹さん、どういうラグビーするんですか」って求めたんですよね。中竹さんに「君たちはどういうラグビーしたいの」って言われてはっとして。今までは言われたことを一生懸命やっていて、自分たちは何も考えてなかったなって思いました。自分たちで考えるというカルチャーを新しく作ってくれたのは中竹さんかなと思います。
藤島たぶんどっちにも正解が。
三井本当にそう思います。
藤島東芝のコーチをして、その後にダニーデンのオタゴに行く。
三井東芝でコーチが終わったのは、コーチというものに対してすごく面白さを感じ始めているときで、コーチをどうしても続けたいと思ったんですよ。どうやって学ぼうかなと考えたとき、高校生の頃にニュージーランドに短期留学する機会をいただきまして、ラグビーってやっぱりニュージーランドだなっていう感覚がありました。オタゴにコーチングプログラムというのがあるんですけど、そこに入って学ぶのが自分の成長につながるのかなって思って、貯金の切り崩しで行ってきました。

藤島ニュージーランドのコーチングでここが優れているなというのはありました?
三井あまりガチガチじゃないですよね。ストラクチャーとかチームとしてやるルールはありますけど、選手に余白はあるのかなっていうのはすごく感じます。
藤島昔、ウェールズのカーウィン・ジェームズという名コーチがいて、ブリティッシュ&アイリッシュライオンズを初めてニュージーランドで勝たせた人だけど、ちょっと変わっているんですよね。彼は選手がミスすることが大好きなんだって言うんですよね。2回ミスして2回トライしたらもうそれでいいんだって。選手のミスを喜ばないコーチは駄目だって言っていてね、作戦は緻密に立てるんだけど、そういうふうにやっていく。
最後に、このほど豊田自動織機シャトルズ愛知のプロのコーチ、アシスタントコーチの立場として、7月から練習に出ていますが、どうですか?
三井今は選手との信頼関係を築くところに時間をかけています。その中で自分が思うことを少しずつ伝えている段階です。
藤島本職はスクラムハーフだけれども、今、どの分野のコーチングに力を?
三井今年はアシスタントコーチという形なんですけど、特にディフェンスを担当させていただく予定になっていて、今後もディフェンスコーチを極めていってプロとしてのキャリアを積み上げていきたいなと考えています。
藤島コーチとしての目標、何か具体的に考えていることありますか?
三井今は豊田自動織機シャトルズ愛知で全力を尽くして、チームをディビジョン1に上げること。これが自分のやるべきことだと思っています。
藤島今日のゲスト、豊田自動織機シャトルズ愛知の新しいアシスタントコーチの三井大祐さんでした。ありがとうございます。
三井ありがとうございました。

8月4日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣
- ラジオ番組について:
- ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。
8月4日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-250804.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0100786