藤島大の楕円球にみる夢
(2025/11/03)

ゲスト/福田恒輝氏(「秋田セブンズチーム」ヘッドコーチ)

三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。11月3日放送のゲストは、秋田セブンズチームのヘッドコーチ、福田恒輝さんです。

藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストは秋田セブンズチームのヘッドコーチ福田恒輝さんです。よろしくお願いします。

福田よろしくお願いします。

藤島今日、福島からわざわざ東京に来てくれました。私の方から経歴を紹介します。1976年7月15日に東京に生まれました。小学1年からラグビーを始めて、早稲田大学高等学院、いわゆる早大学院、早稲田の附属高校ですね、ラグビー部に入ります。スタンドオフがポジションです。
早稲田大学に進んでやはり10番をプレーして2000年の春に東芝府中、今のブレイブルーパスに入社するも4カ月で退社。立教大学、立正大学などでコーチを務め、2001年にキヤノンに入社をして、ラグビー部で2年プレーをします。その後、キヤノンも去って、神奈川のタマリバクラブの本当の中心選手、中核として長くラグビーをプレーします。同時にコーチング、特にセブンズのコーチングのエキスパートとしてずっと研究と実践を重ねて、この夏の全国高校7人制大会、國學院大學栃木高校のコーチをして、見事に全国制覇を遂げました。大分東明高校に33対7。そして10月、今度は国体、現在は国民スポーツ大会ですね、成人で滋賀の大会でしたけれども、決勝戦、その滋賀を秋田代表で破ります。こちらは28対5でした。秋田魁新報という地元の新聞の見出しは「有言実行」って書いてありましたね。有言実行で勝ったと。

福田丸尾選手は有言が得意なので、はい。

藤島丸尾崇真選手、パリオリンピックの男子セブンズの日本代表、オリンピアンです。早稲田でキャプテンをした。
ここから最初にセブンズのコーチングの話というか要するに、福田コーチが率いると勝つんですね。これも事実です。「あの人のセブンズのコーチングは見事だ」という声があちこちから来てそれで今日お願いしたんですけども、最初は国スポの方から。構造上、地元が非常に力を入れるのでおそらく滋賀代表も絶対優勝するという準備を重ねてきて、私は映像も見ましたけど秋田に負けてショックだったと思います。してやったりという感じですか?

福田林大成さんが熱心にやっていて、勝手に優勝するんじゃないかっていう空気ができていたこともこっちには有利だったと思いますし。たまにありますよね。

藤島自信あったんですか? ずばり。

福田国体の成人がどういうものかは、多少は知っていたので。15人制のすごい選手を何人か呼んで、集まっているチームが勝つ。集められる開催県のチームが勝つっていうのが大体の流れだったので、ちゃんとセブンズの練習をして、というチームはいないだろうなっていうのはあって、そういう意味では自信はありました。

藤島その前にこの夏、國學院栃木高校のコーチングをしてこれもまた見事日本一になりますけれども、自分のノウハウで思い通りに。

福田いい方の誤算もあったんですけど。15人制の方でいうと國學院栃木のディフェンスがすごかったりするじゃないですか。あの部分は僕が想定していたよりすごくて、何て言うんですかね。1つのことを徹底する力がすごくて。次の週に、やっちゃいけないことを絶対にやらないのが國栃(こくとち)で、徹底力はすごい。

藤島今、國學院栃木の、15人制だとセンター、キャプテンの福田恒秀道が福田恒輝コーチの次男。長男は正武(せいぶ)。帝京大学の2年生でAチームが近づいてくるような存在ですね。

福田厳しい戦いですけど。

藤島ちなみにこの正武はセービングのセーブですよね?

福田はい。

藤島福田恒輝という人はタグラグビーの小学生を教えても名人なんですよね。日本一になっていますよね。

福田なってます。

藤島タグラグビーというのは、僕らの理解だとラグビーと似て非なるものというか全く別の競技みたいに考えがちなんですけど、何かあるんですか?

福田もう究極だと思います。抜き合いの技術の一番極みというか体の強さや速さが通用しない競技になっているので技術を習得するには一番いいと思います。

藤島つまりタグラグビーは抜くということが絶対だと。先にそれをマスターすると例えば15人制のラグビーに行ったときも非常に役に立つ。

福田と思います。

藤島横井章さんという往年のジャパンの名キャプテン、昔から言っていましたね。小さい子は芝生のグラウンドならまだいいけど、土でラグビーさせるぐらいだったら他のスポーツをした方がいい。土が痛いから痛いということから始まってしまうと。

福田そう思います。痛いからセービングをしないで済むような体の癖がちっちゃいときにつくと思います。それだったらタグから始めるのも全然悪くないとは思います。

藤島セブンズは、はたから見ると、本能的だったりすごい身体能力だったりで決まるイメージがあるじゃないですか。足が速い人がいてその上に飛べる人がいて、それだけじゃ勝てない?

福田もちろんその面もあると思います。ただその向こう側に、もっと面白いこともあって、私がやらせてもらっていたレベルでは、身体能力で劣る者が勝る者にどうにかできる部分がほんのり見えて。絶望もありますよ。海外のシンガポールセブンズとか香港セブンズとかに行くと本物がいるんですよ。僕より速くて強い人が僕より考えて僕より真面目にやっている。絶望じゃないですか。でも、それでやめたとはならずに続けて、こうやって結果も出せるので面白いです。

藤島なぜ勝つのか。どこに芯を持って練習しているのか。

福田秋田のセブンズと國栃、あと松韻学園福島高校と、セブンズのチームを3チーム指導する機会があったんですけど全部同じことをやっています。

藤島何をするんですか、最初に。

福田セブンズで一番大事なことはなんですかって言うとみんなスピードとかアジリティと答えるんですけど、根性が一番大事です。根性って何ですか。それは苦しいときに強気、丁寧、我慢。これをやるために何が必要ですか? フィットネス。あとは思いの重さ。

藤島最初そこから入るわけね。

福田はい。

藤島早稲田も伝統的にちょっとつかんでいるじゃないですか。つまり理屈だけじゃないところで気持ちの強さが最後に出るみたいな。能力の違う人間が一緒に走りながら人間と人間の縁がどろっとしてくるみたいな雰囲気はあるでしょう。科学的に計測するのとちょっと違うよね。出し切るかどうかを問う。

福田秋田のチームに帰化したフィジアンが2人いて、彼らから学んだことも大きいです。やっぱり1人で頑張るなんてたいしたことない、仲間を助けたい、勇気付けたいみたいなとき、フィジアンってすごい力を出すんです。國學院栃木で一番教えたのは仲間に掛ける声とかですね。

藤島福島県の二本松に移住をしたのは、簡単に言うと田舎暮らしをしたいみたいな感じがあったんですか?

福田ありました。田舎暮らしというか、福島に行く直前の職業はホテルの支配人だったんですよ。夜中にクレームあったら出てくる、24時間営業みたいな。当時、長男が4歳とか5歳でした。こうじゃない、子供と一緒にいる時間が全てだなと思って。

藤島二本松に行ったのが2011年の2月。
最初は木の伐採をやっていましたよね。

福田そうです。二本松に行くきっかけは大学のラグビー部の同期の佐々木篤行というのがいて、彼の実家がお寺で。お墓の山の木の伐採、それで炭を作るというのをやっていました。

藤島1カ月後にあの震災が来て、二本松は放射能が降ってきたわけですね。あのときみんなで決断をするんですよね。どっちに逃げるか。正解だったんですよね、確か。

福田奇跡的に僕の持っていたモバイルWi-fiみたいなのが繋がっていて第1原発の定点カメラをみんなで代わる代わる見ていたら、ボンってなったんですよ。もう駄目だってなったら、ピッて画面が消えて。これ本当に駄目なんだなっていうので佐々木のお兄さんが決断して、今夜逃がす、と1台のワゴンにぎゅうぎゅうで子どもと女性を中心に乗せて。みんなで話し合って、日本海側に行けば大丈夫だと思って新潟に。

藤島ここから放射能としばらく戦うんですよね。二本松に戻って子どもたちのために除染をしたり、放射能の検査をするNPO法人を立ち上げて、1回大手のあるミルクか何かにセシウムがあるのを計測して、ニュースになってね。通信社とかテレビで報道された。

福田放射能測定する機械って安くても60万で、最終的に買ってもらったのは400万とかしました。そのお金が集まるきっかけは、子どもたちを新潟に逃がして、僕らは新潟からガソリンの携行缶や食料を運ぶんですよ。趣味でやっていたドラム缶風呂を津波の被災地でやろうとなって避難所とかでこのドラム缶風呂がすごく喜ばれて。「なんで自分たちも被災しているのにそんなことしているんだ、お前らのやりたいことは何だ」と聞かれて、「食べられるものとか確認したい」と言ったらばあっとお金が集まって、見様見まねでNPOを作って、それがNPO法人TEAM二本松なんですけど。

藤島今はもう役割を終えて。現在は会社勤めですよね。ゴールドジム。

福田福島県郡山店のマネージャーです。雇われ店長です。

藤島トレーニングをしているときに、たまたま社長がその姿を見たんですよね。

福田僕は会員として通っていて、重いスクワットとかをやるのにベルトしないのってちょっと不自然なんですけど、でも試合でベルトしないのに何でするんだみたいな発想でしないでやっていたら、社長が「何やってんの」。「ラグビーです」「どこでやってたの」「早稲田です」って言ったら、実は社長が流通経済大学ラグビー部のチームドクターみたいなことをされていたときがあって。僕は大学5年生のときの大学選手権1回戦の相手が流経大で勝ったんですけどそこのチームドクターで、ご飯行こうと。

藤島その後コーチの道に進むわけですけれども、早稲田大学高等学院時代に私もこの番組で何度もその名前を出すけれども大西鐵之祐という日本の名監督、早稲田の名将の最後の方の指導を受けたよね。何か覚えていますか?

福田本当に優しいおじいちゃんで、車椅子で杖つきながらステップを教えますみたいな。あまりわかってない高校生からしたら、「ん?」ってなるんですけど、当時、本郷高校がものすごく強かったんですね。その強い相手に立ち向かう前、休み時間に校内放送で、「福田恒輝くん校長室まで」と呼ばれて、呼ばれるようなことしてないのになと思って行ったら、大西先生からの電話で。電話に出たら「本郷に勝てるぞ。お前は思い通りやったらええんや」ってもう泣きながら20分ぐらい同じ話を。すごかったですね。

藤島最晩年に、高校3年生にも我慢ができなくて校長室に電話かけて呼び出して、20分間泣きながら同じことを喋り続ける。これがコーチですね。結果は?

福田勝ちました。当時の番狂わせです。

藤島その経験はすごいね。コーチング、固まってきたのはいつ頃? こうしたら勝つんだ、伸びるんだとか。

福田タグラグビーを教えていたあの辺ですかね。そこでいろんな失敗成功があって、あと、子どもたちに本当に伝えたいことは何だろう、ラグビーを教えながら何をしたいんだろうみたいなのを考える時間になって。

藤島タグラグビーの勝負に出たときに、そこで起こることを解決したり、こうやったら子どもが伸びる、力を発揮するとか。

福田怪我したから練習休みます、という子どもに、怪我しても来るんだよ、松葉杖ついてもやれることがあるんだよってことを今経験することが重要であってそれを教えた方が、いいなとか。

藤島それが結局結果に繋がるわけでしょう。

福田はい。

藤島今、秋田でともに戦っている丸尾、彼は早稲田実業、ちょっと早実筋から聞いてるんだけどつかみ合いから始まったと。

福田つかんでは来なかったんですけど。もうそれこそ今年も早実の今の監督は大学の同期なんですけど、彼から呼ばれて、セブンズの大会の前だけ年に1回行くという関係がもう10年近くで、丸尾選手との出会いも丸尾選手が高校1年生のとき早実に行ったときです。丸尾とちょっと記憶が違ったりするんですけど、僕の記憶ではあいつに何かお手本をさせて、その後立ち上がって戻って来るのがすごく遅かった。お前もういい、出ろみたいに言って。普通の子だとしょんぼりして、途中から混ぜてくださいみたいになるんですけど、あいつは出ないんですよ。混ぜない、出ろって言っても次の練習もまた先頭でやる。面白いと思って。

藤島うれしいでしょう。

福田そうですね。実際はそういう選手を求めているじゃないですか。それが100点じゃないですか。練習が終わってシャワールームでちゃんと「さっきすいませんでした」と。

藤島それが出会いでまた再会したわけだ。
今後、何か考えていることありますか?

福田たかが半年ですけど、秋田でセブンズチームを一緒にやらせてもらってまだまだ気づくことはいっぱいありましたし、またどこかでセブンズ指導をさせてもらえるところはないかなっていうのはあります。

藤島秋田セブンズヘッドコーチ福田恒輝さんでした。ありがとうございます。

福田ありがとうございました。

11月3日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣

ラジオ番組について:
ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。

11月3日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-251103.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0100786