藤島大の楕円球にみる夢
(2026/01/05)
ゲスト/吉野俊郎選手(ワセダクラブ・トップラッシャーズ)

三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。1月5日放送のゲストは、元日本代表で、現在はワセダクラブ・トップラッシャーズ所属の吉野俊郎選手です。
藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストは元日本代表、現在ワセダクラブ・トップラッシャーズ所属の吉野俊郎さん。ここが大切なんですけど65歳です。現役の選手です。よろしくお願いします。
吉野よろしくお願いします。
藤島私の方から吉野俊郎さんのプロフィールを紹介します。1960年9月5日生まれ。まさに65歳。茨城県出身ですね。中学は野球部、そして茨城県立日立第一高校でラグビーを始めます。高校日本代表に選ばれ、花園に出場。当時は今と違って、全員が一般入試なので後で勉強して早稲田に入ります。
1年生からレギュラーになって活躍。実は私同級生だったんですけど、最初に吉野が走ったのを見たとき、やっぱり才能が違うんだなと思いました。スプリントがものすごくて、早稲田で活躍した後日本代表にも選ばれて、サントリーに入ります。今、サントリーは強豪ですけど、この頃は創部して本格強化を始めて、間もない頃ですよね。
吉野はい。創部3年目だったですね。
藤島最初に立ち上げていくメンバーとして加入、1987年の第1回ワールドカップのスコッドにも入ります。何しろ経歴は長いのできりがないんですけど私がすごく覚えているのは1995年度ですね。96年の新年が明けたときに、全国社会人大会決勝でサントリーと三洋電機、引き分けでしたね。確か。そのとき3トライを吉野が挙げて、トライ数で勝って日本選手権にて明治を破るんですけど、このときが35歳。私なんかも記者で、35歳大ベテランって書いた、30年前にもうベテランだった。あれはでも思い出じゃないですか?
吉野大きな思い出だね。長い人生ラグビーやってきて、色んな意味で運っていうものが回ってきたのがあの試合だったかなと個人的には思いましたね。
藤島三洋と27対27でしたね。明治に49対24。日本一になって、同期だっただけですけど嬉しかったですね。
吉野嬉しいな。
藤島吉野が日本一になったと思って。あの頃の35歳って相当ベテランですよね、今の感覚より。
吉野そうですね。
藤島社業とみんな両立している時代。その後、実はサントリーで1997、98年ぐらいですかね。選手兼監督という今は珍しい経験もします。選手交代を自分で。
吉野たった1回だけだけどやったことありますね。「選手交代、俺」っていうのは。

藤島99年以降、社業で大阪に転勤になって、六甲クラブでもプレーをして、また東京に戻ってきてワセダクラブに入る。ずっと現役です。176センチ68キロ。今データがここにあるんですけど変わらないんですか?
吉野18のときから変わってないかな。
藤島65歳になって現役で、ここが本当に私自身も驚きだし興味がある。そこから聞いていきたいと思うんですけど、いわゆる草の根のラグビー、みんなが楽しむ、そこには結構年配の人ってたまにいますね。吉野俊郎所属のワセダクラブ・トップラッシャーズというのは、いずれリーグワンにも繋がっていくようなラインにある本当の公式の社会人のリーグ。そこに65歳で選手、たまに出場したりするのは極めて異例というか。まずどうやってトレーニングするんですか?
吉野トレーニングしているつもりはなくて、毎日会社行く前にジムに行って体を鍛えることをトレーニングと呼ぶのであればトレーニングなのかな。本当に習慣の一つなんだよね。
藤島僕もジム行ったのは30年ぐらい前が最後なんであれですけど、何をするんですか?
吉野ウェイトトレーニングする日といわゆる有酸素系のトレーニングする日と、それを交互にやっているかな。
藤島こういう年齢になってもバーベルを上げたりすることも大事なんですか?
吉野決して重たいものじゃなく、なんていうのかな、体が悲鳴を上げない程度に負荷を加えるのがいいかな。若いときにはやっぱり重たいものを持ち上げたけど、今は体に心地いいっていうところでやめるのがコツかなっていうね。
今まで多少トレーニングとか教わったことがあって、そういったものを自分の頭の中で理解、分解して、自分に合ったトレーニング方法みたいなものを、最近はちょっと見つけたかなって感じはしますけどね。これは人におすすめできるかどうかわかんないですけど私はね、回数数えないんですよ。人間の頭って回数決めるとそれがやっぱり上限になるんでね。だから気持ちよくやれるところまで、回数を数えないのは私のトレーニング方法ですね。自分でリミットを作らないで体の声にこたえるみたいな。

藤島2023年の12月だから実質2年前ですね、JALのチームとワセダクラブが戦ってトライをしている。これ公式戦ですよ。本当のリーグ戦です。63歳3ヶ月。もちろんリーグ最年長記録。私も一度別の機会にJALとの試合を見に行ったとき、試合が終わってジャージを脱いで裸になって、たまたまこの番組も出てくれた富田真紀子さんっていう女子の日本代表だった人が、その上半身裸を見て僕の横で「やばい」って言っていました。俺の同級生だよって言ったら「やばい」。
吉野それは嬉しいです。
藤島つやつやして本当に腹筋が割れている、全く贅肉のない、でも無理してる感じはないんですね。飲めるときはお酒飲んだり、そんなストイックにしているわけじゃない。
吉野全くないかな。本当に自分のしたいことをしている感じでね。
藤島誰もが思うのは怪我しないんですかということ。
吉野難しいけど怪我するような無理はやっぱりしないかな。例えば、タックルとかしなきゃいけないときは、相手に気が付かれないように間合いを詰めて衝撃を抑えるとかね。
藤島練習を見たとき、めちゃめちゃディフェンスがうまくて、すっと抑えて、相手が自然にそこからいなくなるみたいな。ああいうのはやっぱり経験ですね。
吉野そうですね。いつも意識しているのはタッチラインっていう最大のタックラーがいるんでね。そこにタックルしてもらうように相手を追い込むというかね。
藤島コーチをするのでなくあるいは同年代の人とプレーするんじゃなくてあくまでも若い人と本物の試合に行くことが大事なんでしょう。
吉野ラグビー人口って悲しいかな、ちょっと減ってきているよね。できる限り競技人口と言われる中のプラス1でいたいなっていうのが本音かな。ラグビー人口に入っていたい。
藤島そういう気持ちが湧くんですね。
吉野もっと言うと、これ、言葉が適切かどうかわかんないんですけど趣味と特技ってあって、私の場合趣味の方がラグビーにおいては大きくて、多少人から上手だとか言われることもあるので特技でもあるんだろうけども大体が私の中でのラグビーの理解は趣味がほとんど、特技はちょっとかな。趣味と特技のバランスが私みたいに長く続けるような人が出てくるという話かなと。
藤島高校でラグビーを始めて公立校で活躍し、誰かが見ていて選抜チームとかに引っ張り上げなかったら、地元の国立大学の工学部に行くような生徒。
吉野そういう意味ではね、早稲田っていうチームに出会ったのも私のラグビー人生がここまで続くきっかけにはなっているかなという感じはしますけどね。
藤島国立大の工学部に行こうかという少年が、たまたま早稲田に勉強して入って、あの頃私もいたから分かるんですけど有名選手が少ない、でも日本一を目指している。それをどうやって埋めるかっていうと猛練習しかない。
吉野おっしゃる通りですね。
藤島趣味だったんだけどあのときだけちょっと修行のような?
吉野自分の中でラグビーっていうスポーツの考え方が若干変わったタイミングでもあったかな。本当に趣味だけだったので、言葉がうまく見つからないけど周りからの期待に応えるというか。私が活躍して喜ぶ人がいるんだな、みたいなことを初めて教えてもらったのは早稲田大学だったような感じがしますね。それまでは全く自分の趣味なんでね。自分が試合に出ると同じポジションで出られない人がいて、色々な人の分まで頑張らなきゃみたいな、今までに経験したことのない境地に入ったかな。
藤島3年生のとき有名な大西鐵之祐監督と出会う。
吉野ちょっと有名になった言葉ですが「吉野勝負」っていうね、私だけには何の指示も出さず、周りにはちゃんと指示を出して、私の相方の本城和彦にもチャンスになったらば、お前が行くんじゃなくて吉野にボールを回せって。私だけは自由に走れっていう、孫子の兵法じゃないけど一点突破。
藤島大西鐵之祐という人は、僕も卒業した後に通って色々教えてもらったんですけど、最初と最後が人なんですね。真ん中がシステムとか科学。
吉野闘将、知将ってよく言われるけども大西さんはその両方を持ち合わせてね。もちろん知将のイメージが強いけども、実は本来は闘将だろうな。人間の動かし方っていうかね。そういったものを教えていただいた記憶に残る名監督かなと。

藤島早稲田を終えてサントリーを選んだのは?
吉野根底にあるのが趣味という位置づけだったので、あまり強いチームに行って、言葉は失礼だけどチームが勝つための一つのコマになってやるよりは、あまり強くなくて自由にやれる、そんなイメージがあったんだよね。
藤島社業と完全な両立でしょ、あの頃は。
吉野そうね。入社するとき役員面接で「いやあ、吉野くんなあ、ラグビーばっかやってもらっちゃ困るんだけどな」って言われて「はい5年でラグビーを終えて社業に徹します」って言った記憶がありますね。それでも17年やりましたけどね。
藤島かつてジャパンでありました吉野さん、1987年ワールドカップに行ってその後に世界一のオールブラックスが日本にやって来るんですね。やっぱり強かった?
吉野本当に強かったなあ。長いことラグビーやっていますけど、早く試合が終わってくれないかなって思ったのがあの試合だけ。全く手も足も出なかったかな。どんなに強いチームでも点差が開いてくると若干気を抜く、プレーが雑になるチームが多いんですけど、オールブラックスだけは74対0のスコアの最初から最後まで全く同じことを続けてきて、付け入る隙がゼロ。これどうしようもないなって。心に隙がないチームがやっぱり一番強いなって。
藤島私、偶然会ったりする時に聞いてすごく覚えているんだけど、センターというのは最初に抜くところを見つけるんだと。簡単に言うとフォワードとバックスがディフェンスで譲り合うスペースがある。そこを見つけるんだけど、すぐ行っちゃいけないんだっていうのをすごく覚えてて。
吉野ゲームってやっぱりストーリーがあってね。それこそ80分のゲームの中で勝敗を決めるワンプレー、例えば攻めている方は獲りきれば勝つだろうし、守っている方はそれを止めれば、勝つ可能性があるワンプレーってやっぱりあってね。そこで行く。そういう意識は常に持っていたかな。
藤島今、選手として目標ありますか?
吉野今日よりも明日上手くなる。一つ好きな言葉があって、誰が言った言葉か分からないけど「センスとは圧倒的な経験数がもたらす超高速な論理的思考である」。瞬時に判断したように見えるけど経験があってこそ瞬時の判断ができる。ゆえに、というわけじゃないけど長くやっているかな。明日もうちょっと上手くなるんじゃないかって。
藤島ある人からぜひ聞いてくれと。吉野さんはいつもトライをしていたけれどトライをできる人とね、できない人がいる。ここはどう考えるべきですか。
吉野トライまでの道筋が自分の中で見えるんですよ。こういうところで、こういうボールが来たらトライできるなっていうね。それがいわゆるトライの嗅覚とかいう言葉だけど。イメージだけ持っていても、もちろん周りにそれをサポートしてくれる人がいないとそうならないけど。
藤島歳をとって、楽しんでやる。だからトライもできた。何かきっかけが?
吉野1995年のシーズン、社会人の決勝で三洋電機とするときに1冊読み終えた本があって。ジョージ・フォアマンという有名なプロボクサーが一度リングから降りて宣教師になってもう1回リングに立つ。若いときはタイトルが欲しい、金が欲しいという気持ちでリングに立って、そのときに見えなかったパンチがボクシングを楽しみたいと思ってリングに立ったら見えたってね。決勝の前日に読み終えて決勝戦に臨んで、一番点数が離れたとき27対8だったかな。そこでいつもの自分だったらここで色々考えてラグビーを楽しむことを忘れていたな、本を読んだことを思い出して、楽しむことに専念しようと思って最終的には27対27だったかな、同点でトライ数で勝った。あの本読んで良かったなって思った。
藤島私会ったことありますよ。ちょうどカムバックして、試合を観に行って。でもなんかそういう感じでしたよ。ビッグマッチの前なのに記者の控え室みたいなところにふらっとジーンズで遊びに来てすごく楽しそうにジョークを言って。
話は尽きないんですけれども、今月のゲスト、元日本代表、そしてトップイーストグループC、ワセダクラブ・トップラッシャーズの現役選手、吉野俊郎さん65歳。裸になると28歳。ありがとうございます。
吉野ありがとうございました。

1月5日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣
- ラジオ番組について:
- ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。
1月5日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-260105.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0100786