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「距離感は遠いくらいなら、近すぎるくらいでいい」常勝軍団を作った、工藤公康の選手とのコミュニケーション

2022.10.18
Tie-upNumber Web

ビシッとしたスーツに身を包んだ工藤公康は、そのスタイルには似つかわしくない一冊のスケッチブックを抱えて現れた。

「いろんなことを書きますよ。スケッチブックだとフリーに書けるじゃないですか。今は仕事のことの他に、娘(プロゴルファーの遥加さん)のゴルフのことや、最近ハマっている野菜作りやDIYのことも書きます(笑)。監督をやっているときはこうしてスケッチブックに書くことで自分の考えをまとめることができましたね。まとめておけば、選手への伝え方も変わります。思いつきでしゃべるのは一番、やってはいけないことなので……」

写真:杉山ヒデキ

監督として5度挑んで、5度とも勝った。それが工藤公康のSMBC日本シリーズでの戦績である。選手としても14度の出場を果たして11度の日本一を勝ち取ってきた工藤は、短期決戦の戦い方、勝ち方を熟知した野球人だと言っていい。その工藤が考えをまとめるためにスケッチブックを使い始めたのは2016年のオフのことだった。ファイターズに敗れて日本シリーズへの出場を逃してしまった悔しいシーズンを終えたときのことである。夏場まで首位を走りながら、追い上げてきたファイターズに逆転を許し、リーグ優勝をさらわれてしまう。さらにクライマックスシリーズでも投打で大谷翔平に圧倒されて敗退――この悔しさが工藤の転機となった。

「あの負けで、選手とのコミュニケーションがいかに大事かということを改めて教えられた気がしました。選手にこちらの考えていることをしっかり伝える能力がまだ足りていなかったのかと……監督が選手に何かを伝えるためには、まず彼らのバックグラウンドを知っておかなければならない。僕もできるだけ早い時間からグラウンドへ出て選手の練習を見るように努めてきましたが、すべての選手が球場だけで練習しているわけじゃないんですよね。だったらそういう選手が球場へ来る前に何をしているのかを知っておく。どんなふうにコンディションを整えて、どう自分の体のケアをして、どんなトレーニングをしているのか。選手は僕が見ていないところでも努力しているんだから、そこを知った上でいろんなことを判断して、伝えるべきことを伝えなくちゃいけないと思いました。そうでないと選手も何かを言われても合点がいかないだろうし、お互いの認識にズレが生じます。そういう選手のバックグラウンドが見えていなかったことに気づかされたんです」

見えないところで選手が何をしているのかを知るためには、それを話してもらうだけの信頼関係が欠かせない。普段のさり気ないやりとりが選手との距離感を縮める。

「いや、いいんですよ、友だちで」

「いや、いいんですよ、友だちで」

写真:杉山ヒデキ

「監督になったとき、選手に近づきすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。ちょうどいい場所はどこなんだろうと思っていました。結果、最初の2年は近づきすぎてはいけないと思って、遠くなっていた。だからそのスタンスを変えようと思ったんです。距離感って、遠くないほうがいいんですよ。じゃあ、近すぎたら何か友だちみたいになってしまってよくないんじゃないか……いや、いいんですよ、友だちで。監督だからって、言うこと聞かなきゃいけないということはない。選手の中にも、絶対にあるじゃないですか。こんなに走らせやがってとか、こんなに練習すんのかとか、いろんな文句が(笑)。そういうことを言えない雰囲気になるのがよくないんです。だから友だちみたいになったとしても、選手からは『おっ、監督、いろんなことを知ってるな』と思ってもらえればいい。そのために大学で勉強もしたし、トレーニングの方法や身体のこと、栄養のことも勉強したし、アメリカにも行く。オフにはアメリカのトレーニング施設にも行って、今の選手がどんなことに魅力を感じているのかも見てきました。そうやってメリットとデメリットも知った上で、この選手にこのトレーニングが合うのかどうかを選手と一緒に考えればいい。だから細かいことでも選手の言葉や仕草を書き留めて、選手のことを少しでもわかっておこうと思ったのが、スケッチブックを使うようになったきっかけでしたね。練習のときに選手の動きを見て、話をしたときの表情やコンディションを感じ取って、試合前のあらゆる情報を頭の中に入れておくためにスケッチブックに書き留めて、自分の中でまとめておくんです。そうすると冷静に状況判断もできるし、戦略も組みやすくなります」

工藤が監督としてホークスにやってきたとき、千賀滉大はリリーフのピッチャーだった。千賀にポテンシャルを感じていた工藤は、もし将来的に先発をやりたいのならこの秋はこういう練習をして、その練習を3年間続けてみたらどうかと提案した。そして、それを実行した千賀を先発で起用して、のちにエースにまで育て上げた。今シーズン、ノーヒットノーランを達成した東浜巨とも、思うように勝てなくなったときにフォームのことや球種のことをいろいろ話し合い、原点に戻ることを確認し合った。キャッチャーの甲斐拓也とは交換日記をして、本音を聞き出した。いいことばかりを書いてくる甲斐に「オレもちゃんと本音で書くからお前も本音で自分の思ったことを書いてみろ」と尻を叩いた。もともと考え込むタイプの甲斐は、字にすることで本音を垣間見せた。『なぜ僕だけがいろいろ言われるんですか』と書いてきた甲斐に、工藤は『そうだよな、キャッチャーは9人の中で一人だけ逆を向いて座ってるんだから、お前だけにしか言わないことがあるんだよ』と返事をした。そして、『お前には弱気になったときの仕草がある、それを出しちゃダメだ』と伝えたのだという。2018年のSMBC日本シリーズ、“甲斐キャノン”と恐れられた強肩で盗塁を刺し続け、守りだけでシリーズMVPを獲得した甲斐の存在は、ホークスには欠かせないものとなっていた。

「よく、ホークスには選手がいっぱいいていいですね、なんて言われましたが(苦笑)、いやいや、選手は育てるんですよ。勝手に育つわけではない。この選手はどうしたらよくなるのか、その道筋をシミュレーションして、必要な課題を与えて、どう頑張ればいいのかを指し示す。そのルーティンを作ってあげられて、ようやく選手は育つんです。それが勝つこととは別の、チームが勝ち続けるために必要な監督の仕事なんですよ」

選手を見て、選手を知り、選手と心を通わせ、選手に道筋を示す――SMBC日本シリーズで5度戦って一度も負けなかった指揮官の、これが“工藤流の戦略”だったのである。

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